南禅寺順正育成管理庭園

順正書院は天保10年(1839)に蘭学医として著名な新宮凉庭によって開設された医学校を起源としています。南禅寺に隣接し、建築と庭園を配した清雅なその姿は、幕末に東山界隈の案内書として作られた『花洛名勝図会』によって広く世に紹介されました。

当時は果樹が生い茂り、広々とした薬草園内には貴重な薬草が栽培されていました。昭和21(1946)年に繊維業を経営する上田堪一郎氏がこの地を購入した際には荒廃していたそうですが、燈籠ほか伽藍石や層塔といった石造品を新たに据えるなど、庭園に手が加えられました。庭園南東にある心字池へは南側と東側より琵琶湖疏水からの流れが注ぎ、それぞれの流れには橋が架けられています。水は心字池から庭園北東に建つ蓮月亭の前を経由し、更に北西の園池へと流れています。

現在の湯豆腐店が開店したのは1962(昭和37)年のことです。
玄関庭や前庭は『花洛名勝図会』に描かれたころから大きく変わっていないように見受けられるほか、現在も医学校時代を偲ばせる石門が露地庭の入り口に残っており、書院とともに国の登録有形文化財となっています。


花洛名勝図会 (元治元年1864)

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所在地:京都市左京区
作庭時期:江戸時代
南禅寺順正 webサイト