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石垣

東本願寺の渉成園にある石垣は、驚くほど即興的な佇まいを見せています。その様子は、手近にある素材を再利用することで、見がいのある景観要素を構成できることを証明しています。

壁は物事を隔てることもあれば、結びつけることもあります。メソポタミア文明から中華文明までの古代国家が、侵略者を防ぐという防衛目的で築いた巨大な国境の壁は、誰もが容易に思い浮かべることができるでしょう。しかし、これらの社会は同時に、洪水や浸食から人々を守り、灌漑を促進することで、人間の生活と自然を調和させるのに役立つ数多くの擁壁も築きました。

日本の歴史においても早い時期から、これら両方の壁の例が見られますが、人々の相互の共生や自然との共生における仲介的存在としての石垣の可能性が完全に引き出されたのは、16世紀の戦国時代における城郭技術の驚異的な発展によるものであったと言えましょう。

7世紀には、日本の庭園では、自然石を直角に積み重ねて築いた擁壁で池を取り囲むようになりました。それよりさらに以前、日本の山がちで険しい地形によって、浸食を防ぐために用いられた石の構造物は自然と石垣のような外観を帯びる傾向にありました。また、古墳の屋根石は、装飾要素として敷き詰められることがありました。しかし、高い城壁の必要性から、石や砂利を埋め戻して壁を安定させる技術が開発されたのは、16世紀に入ってからのことでした。こうして、武士たちが城を守るために様々な傾斜に対応する必要性に応えて石垣の様式が多様化し、後に伝統的な農家や棚田にも取り入れられるようになっていきました。城下町の軍事的要請から、人間の技術と自然を融合させる豊かな可能性を秘めた新たな景観要素が生まれたのです。そして、このような石垣がもつ可能性の追求は、城下町が衰退した後も長く続けられました。近代に入ると天然石が河川の堤防建設に用いられ、大きな石を小さな石に分割する技術の発展に伴い、人々はあらゆるサイズの石を自由に割って積み上げることが可能となりました。石垣建設の技術は、近代を象徴する鉄道建設を含む幅広い用途にも使用され続けていきました。

石垣は、層を重ねたものから、部分的に崩れかけたような印象を与える一見無秩序な配置まで、さまざまな様式で築くことができます。しかし、効果的に用いられれば、人間と自然、建築と庭園、あるいは陸と水といった世界を威風堂々と区切り、分け、適切な意味づけをしてくれます。したがって、石垣は空間の境界を作り出すと同時に、それらを調和させて一つの景色へと統合する、ユニークな壁の例と言えるでしょう。

京都・岡崎にある伝統的な旅館「古都平安の宿 奏」において植彌加藤造園は、山と市中の景色をつなぐ要として、段々畑の素朴な景色を彷彿とさせる石垣を設計・施工しています。