庭を知る/ keywords

無鄰菴の三段の滝は、醍醐寺の三宝院庭園の滝をモデルにしたと言われていますが、深い山の景色を醸し出す自然主義的なモチーフとして機能しています。

「見れど飽かぬ吉野の川の常滑の絶ゆることなくまたかへり見む」
日本最古の歌集『万葉集』に収められたこの歌は、古代の吉野宮の驚くべき美しさを称えていますが、自然の滝がつくる景色に対する日本人の深い愛着の深さも物語っていると言えます。同時に、この言葉は、各時代の日本人が日本庭園の滝を造るために注ぎ込んできた創意工夫や革新性を見過ごさせてしまう可能性も孕んでいます。なぜなら、水が何気なく、そしてあたかも自然の造形のように庭へと流れ落ちる滝の魅惑的な光景にこそ、日本庭園のデザイン的かつ施工的な卓越した技術が隠されているからです。

京都の最も初期の庭園の中には、高さわずか1メートルほどの落差を持つ、ひかえめな滝が造られたこともありました。高低差があまりない京都盆地内で滝を造ることは、極めて困難な偉業でした。しかし、この自然が課した高さの制限こそが、宮廷の貴族たちに自然を綿密に観察させ、今でも日本庭園の特徴となっている説得力のあるデザインを追求するきっかけとなったのです。12世紀に入ると、一部の貴族は都の郊外に隠居用の別荘を築くようになり、そのエリアの山がちな地形を活かして、より落差のある滝を自由に造ることができるようになりました。また、13世紀から14世紀にかけて禅仏教が盛んになるにつれ、山中の寺院の滝は、鯉が滝を遡上して龍になるという中国の伝説を体現する「龍門瀑(りゅうもんばく)」として、象徴的な意味を持つものとして捉えられるようにもなりました。

武家支配の隆盛に伴い、滝に斬新かつ大胆なデザインを取り入れるという傾向はさらに発展し、一部の戦国大名は自身の庭園の設計に自ら深く関わるようになりました。大名の中には、客をもてなすために水路を用いて人工の滝を造り出すことさえあったのです。その後、京都の近代庭園では、琵琶湖疏水によって豊富に供給される上水を活用し、ダイナミックで驚くほど自然を忠実に再現した滝の景色が創り出されました。

今日の技術により、かつて自然が滝の建設に課していた制約は、ほぼ取り除かれたと言えます。しかし、この自由こそが、自然の美しさをより深く味わえるような滝を、いかにして技術を用いて創り出すかという問いを、かつてないほど切実なものにしているのかもしれません。

栗林公園は、香川県にある江戸時代(1603年〜1868年)の大名庭園で、その「桶樋滝(おけどいのたき)」は水路を利用して造られたものです。 出典:香川県観光協会