浄土庭園とは、極楽浄土をこの世に再現することを目指して造られた庭園のことです。京都府宇治市の平等院庭園や、浄瑠璃寺庭園が代表的な浄土庭園として知られています。
阿弥陀仏の極楽浄土に往生し、悟りを得て成仏することを目指す浄土思想は、仏教の伝来とともに日本に伝わりました。浄土思想に基づいた庭園造営の兆しは奈良時代に現れますが、初期の浄土庭園は死者の慰霊や両親への報恩的な性格のものでした。ところが平安時代中期以降、造営者自身が死後に極楽往生することを願う庭園が造営されるようになります。
日本では、平安時代の末期には「末法」の時代に入ると信じられ、人々はこれを恐れていました。末法とは、正しい教えは次第に衰え、やがて滅びる、という考え方に基づく仏教の時代区分のひとつで、釈迦が説いた正しい教えが世で行われ修行して悟る人がいる時代(正法)が過ぎ、教えは残っていても、正しく行じる者や証(さとり)を得る者のいない、荒廃した時代のことです。
平安時代末期、貴族による摂関政治の衰えや武士階級の台頭、天変地異の発生などによって治安が乱れ、社会不安が高まる中で、救済への切実な願いを表現する庭園が誕生したことは、必然だったのかもしれません。仏による末法の予言が現実の社会情勢と一致した時代に、人々が「自分たちの時代は退廃している」と確信し、貴族たちが極楽浄土への希求を込めて多くの仏教寺院を造営したことも納得がいきます。
都で造営されるようになった浄土庭園は、後に奥州平泉や鎌倉など、都を離れた各地で造営されました。
このように、浄土庭園は、日本庭園の伝統における壮大な美しさと歴史的な複雑さとの密接な関係を示す、非常に魅力的な光景ということができます。しかし、これらの浄土庭園に現在に続く伝統を見出すとすれば、それは作庭を理想郷の追求と同一視している点といえるかもしれません。これは現代の庭造りにおいても共通する、非常に理解しやすい(そしておそらく普遍的な)動機であるといえるでしょう。
写真提供:平等院