坪庭は、建物と建物の間の小さな空間に営まれます。僅かな植栽と石で構成される空間は、従来、京都においては庭ではなく植込や前栽、坪の内などと呼ばれてきました。
建築史家の中村昌生は、様式的な庭園として取り上げられるような庭ではなかった僅かな空間であっても、その一木一石が屋内の生活に風情と潤いを与える意味では「庭」としての機能を十分果たすとして、坪庭を「庭でない庭」と位置付けています。
日本庭園の歴史において、囲まれた空間をいかに活用すべきか、という課題は問われ続けてきました。平安時代の貴族邸宅は寝殿造りと呼ばれる形式で、渡殿(わたどの)などと呼ばれる廊で連結された建物群でした。建物や廊で四周を囲われた空間は「壷」と称され、貴族たちは花や植物を植えて楽しんでいました。平安時代初期には、囲われた空間に植栽等を施して楽しむ坪庭が存在していました。
後の時代には、大徳寺大仙院のように、禅寺では囲われた空間に枯山水が設けられることもありました。
しかし、今日の京都人にとっての「坪庭」は、室町時代以降に日本の町人階級が台頭してきた際に起こった都市の過密化の産物ともいえます。「町屋」と呼ばれる都市型住宅は間口が狭く奥行のある構造になっており、採光や通風の機能をもつオープンスペースが設けられました。この空間を利用して、枯山水や露地で培われた自然の表現手法を生かした庭が造られるようになったのです。
このような限られた空間の中で、坪庭は日当たりや風通しの良い都会のオアシスと忙しい商業の場とを共存させる、独特の中庭として発展しました。これは現代の建築と庭の関係に当てはめても、住宅において自然環境と共存する理想的な方法のひとつと言えるのではないでしょうか。