文化財・庭園修復

名勝對龍山荘庭園保存修理事業

名勝對龍山荘庭園 について

名勝對龍山荘庭園は、東山のふもと、南禅寺塔頭跡地にあります。明治29年(1896)に伊集院兼常の別荘として建築と庭園が整備された後、呉服商・市田弥一郎が譲り受け、明治34~38年(1901~1905)にかけて庭園は七代目小川治兵衛(植治)、建築は島田藤吉により改修されました。
池、流れ、露地、借景など伝統的日本庭園のほとんどの技法を巧みに組合せ、かつ明治時代の庭園の特徴である園遊のための芝生地を設けるなど、作庭技法上特にすぐれたものとして昭和63年(1988)には国の名勝に指定されています。

近年、老朽化による流れの漏水や周辺構造物の痛みが目立つようになったため、流れや園池、園路、植栽などの本質的価値を有する構成要素について保存することを目的に修理が行われることとなりました。修理期間は平成27年度から令和4年度までの8年間にわたり、植彌加藤造園は修理工事に従事しました。

保存修理事業では主に、以下の修理をおこなっています。

  • 流れ修理
  • 園池修理
  • 園路修理
  • 植栽修理
  • 菖蒲園修理
  • 玄関庭修理
  • 導水管修理

以下に、さまざまな修理の中から最初に修理事業が立ち上がる発端となった流れ修理の一部をご紹介いたします。

流れの修理

修理前、流れの大部分において、経年劣化による護岸目地の欠損や裏込め土の流出、流れ底の亀裂や陥没等による漏水が見られていました。
また、漏水による流れ周辺部の地盤や飛石の沈下、護岸石の傾倒や崩落等もあり、被害が拡大したことをうけ、平成28年度から4年かけて流れ修理を実施しました。

 目地……石・れんが・コンクリートブロックなどを組積する場合の継目。モルタルなどを用いた接合部分のこと

護岸目地からの漏水

護岸目地からの漏水

護岸裏込め土の流出

護岸裏込め土の流出

流れ底の割れ

流れ底の割れ

飛石の沈下

飛石の沈下

文化財庭園の修理工事では、まず古図面や古写真などの資料調査をもとに現状との相違点を比較検証し、さらにき損調査や発掘調査等により庭園の構造・変遷の有無・き損状況・き損の原因を把握していきます。

對龍山荘の保存修理事業では、事前調査として発掘調査以外に、①流れ底き損調査、②護岸背面および流れ地盤調査、さらに流れ以外からの流入の原因を把握する目的で③地下水位調査が実施されました。

修理に使用する材料についてもサンプルを作成し、どの材料をどういった配合で使用するかを協議しました。

こうした調査の結果をもとに、修理をおこなう庭園に適した修理方針や工法を、本工事に入る前はもちろんのこと工事中も進捗に合わせて、有識者・文化財保護技師と現場状況を確認しながら検討していきます。

サンプル作成

サンプル作成

仕様を変えた複数のサンプル

仕様を変えた複数のサンプル

現場での検討

現場での検討

修理では、まず流れの護岸石および背面を触るために、施工範囲の植栽の取外しを行いました。苔などの再利用が可能なものは保管し、護岸の修理後に再設置します。
また、流れ底に石がある場合は底石も集積・洗浄して保管しました。

その後、破損している目地や流れ底のモルタルを補充しました。
護岸石などにかかる樹木の根は、石を動かしたり、目地などのモルタルに侵食し破損させ漏水の一因となっているため、できるかぎり除根をおこないました。

破損した箇所や修理のために解体・除去する必要がある場合は、取外し状況の記録をとり修理しますが、基本的に動いた痕跡のない石は動かさないようにしました。

流れ底についても、作庭当初のオリジナル面と想定される区域は、修理の痕跡を残すため一部の床面を保存するように修理範囲が設定されました。
しかしながら、修理履歴はなく表面のき損も少ないものの流れの下層基盤が空洞化しており、現場環境からも漏水による影響が大きい場所もありました。

文化財の保存修復においては現状復旧修理を行うのが通例です。
しかし現状復旧を行った場合にき損頻度が高くなる箇所については、修理方針を十分検討することとなりました。

植栽取外し

植栽取外し

流れ底石取外し

流れ底石取外し

ナンバリング

ナンバリング

護岸背面修理

護岸背面修理

護岸石補充

護岸石補充

護岸目地充填

護岸目地充填

流れ底目地充填

流れ底目地充填

このように、文化財庭園の保存修理事業においては、「この庭園がどういう場所だったか」「どういう修理をしているのか」を残すように、修理を進めていきます。壊れた場所を修理するだけではなく、文化財の庭の履歴書を残すことも大切な仕事になります。

流れ修理前の様子

流れ修理前の様子

修理後の様子

修理後の様子