ホテル椿山荘東京

ホテル椿山荘東京は、「都会のオアシス」と言われるほど広大な庭園を有する国内屈指のラグジュアリーホテルとして知られています。実のところ、この地は明治 11 年(1878 年)に当時 40 歳の山縣有朋が自身の本宅として造営した「椿山荘」をルーツとしています。山縣が当地の庭園に並々ならぬ想いを込めたことは、今なお残る「椿山荘の碑」にもはっきりと示されています。「後にここに住む人物も、私のように自然を守り続け、この山水を楽しむような私の望みどおりの人物であろうか」と。大正 7 年(1918 年)には、山縣 80 歳を機に藤田平太郎男爵へと受け継がれ、さらに戦後の復興を経て、現在は藤田観光株式会社の所有となっています。

椿山荘の庭園は、京都・無鄰菴、小田原・古稀庵とあわせて「山縣三名園」と評されます。いずれの庭園も、一歩足を踏み入れれば、随所に山縣独自の風情を味わうことができます。特筆すべきは、水を活かした景観づくり、すなわち水景です。椿山荘の庭園でも、地下水を活かした景観がバリエーション豊かに展開され、同時代の数寄者や藤田男爵夫人もまた、この水景を前に思わず感嘆の声を漏らしたと言われています。

庭園内には、藤田による美術品コレクションも数多く残されています。石造美術品としては般若寺式石燈籠が代表的で、いっぽう建築では、篁山竹林寺から移築された三重塔、箱根小涌園から移された茶室「残月」が、いまや国の登録有形文化財に認められて当地を象徴する存在となっています。

令和 4 年(2022 年)、山縣がとくに愛した水景の復活を目指し、関係するエリアの修景整備がスタートしました。幽翠池、聴秋瀑、古香井、雲錦池など、山縣が選定した「椿山荘十勝」の景勝をはじめ、昭和58 年(1983 年)に伊藤邦衛の設計により増設された五丈滝、また料亭「錦水」の大滝、さらには昨今の研究でとくに山縣が重要視したのではないかと指摘される各水系の合流点についても整備を重ね、この結果、ホテル開業70 周年を彩る「令和十二景」が新たに策定されました。

以降も弊社は、他エリアの修景整備や「庭園育成管理指針」の作成、各種調査に取り組みながら、本質的価値を踏まえた庭園の品質向上に努めるとともに、当地の庭師らと行う「定期共有会」を通じて互いの感性と技術(すなわち心と技)を高め合い、後世の人びとにも美しい椿山荘の庭園を、そして山縣・藤田の思いをよりたしかなものとして受け継いでいきたいと考えています。

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