誓願寺作庭庭園|育成管理庭園

誓願寺は飛鳥時代、天智天皇6年(667)、天皇の勅願により創建されたと伝えられます。もともとは奈良にあったのですが、鎌倉初期に京都の一条小川(現在の上京区元誓願寺通小川西入る)に移転し、その後、天正19年(1591)に豊臣秀吉の寺町整備に際して現在の三条寺町の地に移されました。

誓願寺の庭園は、中国浄土教を大成された唐の善導大師(613~681)の教えである「二河白道」(にがびゃくどう)をテーマにして作られています。「二河白道」は、善導大師が著した『観経疏』(かんぎょうのしょ)の中で説かれた譬喩(ひゆ)で、日本では法然上人や親鸞聖人が引用・言及してから浄土教諸派で絵画化されるようになりました。

一人の旅人が西(極楽浄土の方向)に向かって旅をしており、気配を感じて後ろを振り向くと盗賊や猛獣達(悪や誘惑の譬え)が一緒になって旅人を追いかけて来ます。旅人は逃げますが、やがて二つの川が広がる場所にたどり着きます。南側の川は大きな炎が燃えさかる火の川(人間の怒りや愚痴の譬え)で、北側は深い水の川(人間の貪りの譬え)となっており、旅人はどう進むべきか悩み、たじろいでしまいます。前進するか後ろへ向かうか。窮地に追い込まれた旅人が川をよく見ると、火の川と水の川の間に15㎝ほどの白道(極楽往生を願う清浄な信心)が一直線に西へ続いていました。すると、東岸よりある人の声(お釈迦様の教え)が、西岸の方からは喚び声(阿弥陀仏の教え)が聞こえ、旅人(衆生)は一心に阿弥陀仏を念ずることによって迷うことなく白道を渡り、極楽往生を遂げた、というのがおおよその話です。

庭園は手前の本堂側を東、奥を西(西方浄土)になぞらえ、中央の流れの向って左が火の川を、右側が水の川を表現しており、護岸の石はそれぞれ、赤味、青味を帯びた石を使っています。また、流れに架かる石橋を白道に見立て、石橋を渡った先にある3個の景石を阿弥陀三尊とし、二河白道の教えを余すところなく表現しています。

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所在地: 京都市中京区
公開状況:非公開
誓願寺 webサイト