【職人インタビュー】第1回:加藤嘉基(植彌加藤造園 専務)

【職人インタビュー】
第1回:加藤嘉基(植彌加藤造園 専務)

植彌加藤造園ではたらく人々を紹介する「職人インタビュー」。第1回は植彌加藤造園 専務、加藤嘉基のインタビューをお届けします。

――造園・植木屋の仕事をはじめて何年になりますか。

23からやから、31年。それ以前も中学・高校生の頃から手伝っているよ。大学生の時も夏休み、春休み、冬休みは手伝ってたよ。雑用一般に管理仕事、東本願寺、枳殻邸(渉成園)、草刈りなんでもしてました。

――造園・植木屋の仕事を志すきっかけはなんでしたか。

家業だから。(笑)

――家業を継ぐという自覚は小さな頃からあったのですか?

親父が、僕ら子供を現場に連れて行って遊ばせていて。そこで親父やお祖父ちゃん、職人さんの仕事を見ていて。それが普通という風に育てられたから、自分もこの仕事をするということに抵抗がなかったんや。でも、息子がどうしたら面白がって継いでくれるかというのはすごい課題やから。親父も頭使うてたんちゃうかな。

大学(東京農大)行く時も、自分が通っていた普通科では農大への推薦なんてのはあらへんかったから、造園科の推薦なんて書けへんと言われたから。で、親父が推薦文書書きよったんや(笑)。
今は、当時できた友達がだんだん職人や先生方としてキャリアを重ねてきて、そのネットワークがあって。その辺、親父は先見性があったな。

――職人として心がけていること・得意分野はありますか。

僕の得意分野というか、やっぱりおじいちゃんや親父の代から続けていることは“真面目さ”。真面目に取り組む。綺麗な仕事をする。手を抜かない。ちょっとのことを、やっておいてあげようと、という気づかい。

そういうのを出来る集団であるように、みんなにも伝えていかなあかん。造園屋はこうであるべきという固定概念が強いと言えばそうなんやけど、“僕らは造園屋なんや”と。

やっぱり手作業だからミスをすることもある。僕もするし。その時にちゃんと担当者さん、施主さんとコミュニケーションがとれるように普段から真面目に取り組んで、相手との信頼関係を築く。僕らが若い頃の担当の人もまたベテランになってはるけども、やはりその印象は時間が経っても持っていてくれはるから。

一方で僕らも少しずつ歳をとってきて、相手が若いとかまえはるわけです。たとえばパートナー会社の設計の若い子がいたりする。その時に押し付けじゃなく、ちゃんと話を吸い上げて「施主さんやパートナーと一緒に造っていく」。そこを崩さないよう、気をつけなきゃあかんとこやね。

あと親父から受け継いでいる会社の文化として、“植彌加藤の仕事”というのは当然あるのやけども、そこの筋さえちゃんとしておいてくれたら作庭にしても管理にしても、任せている幅は多い。その中で、生え抜きのメンバーが居て、他から中途で加わってくれたメンバーがおって。お互い切磋琢磨して、新たに感性を磨きあってくれたらええと思ってる。

――造園の仕事の魅力はなんでしょうか。

楽しいよ。自分が頭使うより身体使う方がね、ストレスが少ないのもあるけど。僕らの場合相手は石とか木やろ。人と会話をしなくていい。なんで造園屋に無口なやつが多いかって言ったら、喋らんでええからやな(笑)。

でもそれが合っていて好きなことやったら、この仕事は楽しいよ。ネクタイもせんでもええし、移動も車で人ゴミに行くこともないしな。

あとは、自分の身に着けた技術を表現できる。そして目に見える。お日さんも当たって雨も降って…変化を楽しみながら仕事ができる。個人の家のお庭は潰さはるとか変わらはるとかはあるけど、お寺さんのお庭は長く残る可能性が高い。
いつか自分が引退した時は孫連れて「おう、これじいちゃんが造ったんやで」みたいな話もしたいな。

――緑や植物が好きな人でも楽しめるし、海外の方は日本庭園に芸術性を見出している方もいます。

そうやね、たとえば図面や設計図。当然そこには石や樹木の姿があるけど、絶対に同じというものはないやん。

僕らの使う素材っていうのは木にしろ、石にしろ、同じものがない。“近い”ものはあるかもしれないから探すんやけど、数にも限りがある。だから現場での判断・インスピレーションが多く求められる。どう見えるのが一番かなって考えながら…後から言葉や説明がついてくることもあるしな。

――この先の目標や夢はありますか。

夢なあ…いつまで仕事ができるか、自分ももう53。親父が67で死んどる。あと14年、そう思ったらカウントダウンや。会社としては、自分みたいな人間が上にいつまでも居ったらやりづらくなるやろうから、引き際がなかなか難しいなとは思うね。

あと、また海外へ行き来しやすい状況に戻ればもう少し海外でお庭作りたい。海外で庭園を作るのって面白いねんで。行きたがらへんメンバーもおるけど面白いんやけどなあ。

――立場上、現場全体を見られていますが、現場作業の方が好きですか?

うん、好きやね。そら好きやろ。パソコンに向き合ってるより現場の方が合ってるわ、僕には。本当は一日行って、みんなの仕事ぶりを一日ちゃんと見て、言わなあかんことがあれば言いたいし。

――今後の社会で日本庭園が果たしていく役割はなんでしょうか。

うーん。癒しとかそういうところやろうね。
ただ日本庭園も今では“見に行くもの・遊びに行くところ”であって、自分ではあまり作らないから。大規模な公共の庭園を整備するとかも今後はなかなか考えられへんやろうな。

でも例えば、伊勢神宮は20年に一度やってはるでしょう、式年遷宮。ああいう行事をやっていかないと、結局技術が伝わらない。そのためにやらはるわけや。幸運な人であれば3回参加できる人もおる。最初は新人、その次が中堅になって、その次が棟梁になった時と。それが大事やんか。

だからそのシステムをね…“日本庭園”が日本の誇る文化というならば、会社としてだけでなく全体としてそのシステムを確立していかなきゃならんのかなとは思うね。

会社としては、これまではうちの親父も口伝で教えてそれだけだったことを、映像やデータとして、財産として残していく。それをまとめていくことも大事やし、あとはもっとこの仕事の楽しさをアピールしたい。
『楽しいし、緑の維持はすごく大事なことやで』『自分がそこに関わって、自分で出来るようになるとすごく楽しいんやで』っていうのを。

――植彌加藤造園はどのような集団でありたいですか。

僕らはまだまだだけども、“師”と言われる人を目指して努力している集団でありたい。周りから師と思ってもらえるぐらいの、人望もあって、技術もある人…。仲間と刺激し合いながら、そこを目指すのが植彌加藤造園やと。
いつになったら庭の師匠になれるかなんて誰もわからへん、個人によって違う。人間国宝の人でも「まだまだですわ」って言わはるやん。親方は僕らから見たら師匠やけども、本人はそうは思ってはらへん。まだまだ出来んことあるって思ってはるんやから。

俺は植木屋って言葉好きやけどね。「植木屋さんに来てもらって」と言うし。植木屋という言葉の中には当然、木も切るし庭も作るし、そういうのが含まれるから。
僕らもお世話になっている佐野藤右衛門さんがよく使わはる言葉でな、『造園組合の前身は“植木屋仲間”なんや。それが、造園組合を作った。だから、わしらは植木屋の仲間なんや』と。だから僕らは植木屋なんやで。

(2021年春)
photo:相模友士郎 text:植彌加藤造園 知財企画部