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州浜

1975年に、古代奈良の都で「宮跡庭園」が発見されたことで、8世紀の日本庭園において小石の敷かれた庭がどれほど広く用いられていたかが明らかになりました。

日本の庭園は、主に中国のスタイルを模倣するかたちでつくられ始めました。しかし今日では、日本固有の文化表現の最も象徴的な形態の一つとして、世界中で高く評価されています。なぜこのような変化が起きたのでしょうか?この問いには断定的には答えられませんが、私たちにその疑問を抱かせるような魅力的な日本庭園独自の要素はさまざまなところに見られます。なかでも、最も心を惹きつけるのは州浜と言えるでしょう。日本の海岸線を自然主義的に表現したこの要素は、日本庭園独自の伝統を象徴しているかのようです。

7世紀、飛鳥時代の日本庭園は、想念の世界を表したものが多く、中央に「島」を配した装飾的な四角い池が、不老不死への願望を象徴的に表現していました。しかし、8世紀に日本が奈良に新都を築いた後、こうした角張った護岸をもつ庭園はほぼ姿を消しました。その代わりに、小石の浜が織りなす柔らかな傾斜線へと驚くべき形態の変化が見られるようになりました。小石の浜は7世紀半ばの中国の池庭にも存在しましたが、日本での急激な変化は劇的と言えます。かつて石が敷かれていた池の底さえも、州浜と連続的な形を持つ小石で舗装されるようになりました。池のある庭は、日本の海の景色を表現する手段となっていたのです。

やがて京都が首都として定まると、小石を使った海岸表現の技法がさらに盛んになりました。こうした海を模倣した表現は、貴族の邸宅や仏教寺院の政治的・儀礼的なニーズにふさわしい洗練された庭園の景色へと発展していきました。しかし14世紀、室町時代になると、これらの曲がりくねった海岸線を作り出すために地面に貼られていた小石は、よりデザイン性を重視され立体的な石に取って代わられました。これらはもはや単なる海岸線の風景を表現するにとどまらず、石と水の境界線を抽象的なデザインへと昇華させ、純粋に視覚的な楽しみとして鑑賞されるようになったのです。小石を敷き詰めた州浜は江戸時代の17世紀に入り、他の庭園要素と結びつくことで見事に復活しました。その際は、庭園の中で客が茶室に向かう途中で目にする、遊び心がありながらも優雅な海の風景として設定されるようになりました。そして、近代の自然風景式庭園においては、見慣れた自然の風景を実物大で再現した景観に、州浜の造形がそこに一体となって溶け込んでいるのを見出すことができます。

このように、時代によってその姿や意味を変えながら甦り続けてきた州浜には、庭園の所有者が手に入れたいと切望する景色を表現する、計り知れない力がありました。おそらくこの力は、州浜が日本庭園の歴史において果たしてきた重要な役割を理解するだけでなく、その未来を想像する上でも、最も役立つと言えるでしょう。

無鄰菴の小石の浜は、海景を象徴的に表現したものというよりは、川曲がりの外縁に堆積した石をそのまま描いたような光景を呈しています。