「露地ほど目的性が明確な日本庭園はない」。1
この尼﨑博正京都芸術大学名誉教授の言葉は、日本庭園の伝統における茶庭の特別な位置づけを端的に表現しています。
露地とも呼ばれる茶庭は他の庭園形式と異なり、「茶室へ向かう道を提供する」という明確な目的から生まれました。
ところが江戸時代以降、都市の文人たちは慌ただしい日常生活からひと時離れる茶の湯の世界に夢中になり、茶庭も飛躍的な発展を遂げることとなりました。
名称ひとつをとっても、茶庭を指す語は当初「路地」と記され、それ以上の意味を持ちませんでしたが、次第に「露地」と表記・解釈されるようになり、そこには精神的な再生の意味合いも含まれるようになりました。つまり、茶の湯は、庭をプロセスとして捉える独自の概念を日本庭園の伝統にもたらしたのです。
茶の湯に参加する者は、神聖な場である茶室に入るまでに心身を清めます。露地は客人の精神を研ぎ澄まし、身体の動きや感覚を誘導するようにつくられています。現代では日本庭園の象徴的な要素となった飛び石、蹲踞、石灯籠、竹垣、中門などはすべて、茶庭に用いられる要素です。
日本庭園は茶の湯との融合によって、五感で楽しむものとなったといえるでしょう。露地が現れるはるか前から、日本庭園は自然の美しさに敬意を表する数多の手法で表現されていました。しかし、上流階級に限られていた茶の湯文化が町衆にまで普及すると、彼等は大自然から遠く離れた都市にある自分たちの住居に、茶庭というかたちで深山の自然を表現したのです。このようにして生まれたのが、最も人里離れた田舎の庵に勝る自然の風景を都市でデザインするという「市中の山居」の理想です 。
近年の茶庭は厳密には茶の湯の席以外の場でも設けられますが、「市中の山居」としての茶庭の理想は現在でも確かに生きています。都市開発が進む今日、大都市においても深山の自然を感じることを目指す茶庭の空間性は、他の伝統的な庭園形式と同様に、現代に不可欠なものと言えるでしょう。
1尼﨑博正、「想像する伝統」中村一、尼崎博正共著『風景をつくる』(昭和堂、2021)