擁翠園

擁翠園の歴史は室町時代、3代将軍足利義満の管領(かんれい)をつとめた細川満元が築いた邸宅がその始まりと伝わります。邸宅は、応永33年(1426)に細川満元が没すると、寺に改められ、岩栖院(がんすいん)と称されました。

岩栖院時代の擁翠園の様子についてははっきりしたことがわかりませんが、満元の没後100年ほどした大永年間(1521~1528)には、12代将軍足利義晴の仮御所になったこと、敷地内に庭があり、見物に訪れる人がいたことなどが残されている記録から判明します。

その後、応仁・文明の乱の影響などで荒廃してしまったものと思われますが、慶長年間(1596~1615)に、徳川家康が岩栖院の屋敷を、代々金工を業とした後藤家の次男であった後藤長乗に与え、以後、明治に至るまで後藤家の屋敷地となっており、残された絵図などから、池庭や茶室が造られていたことが判明します。

明治になり、後藤家の手を離れた擁翠園は、何度か所有が変わり、池の水が枯れてしまったこともあるようですが、大正に入って大規模な修繕が行われて再び池に水が溜まるようになって以降、大きな変化もなく現在に至っているものと思われます。

庭園は池泉回遊式で、池の周りには、しだれ桜、花水木、紅葉、白椿など四季折々で花が咲き、趣き深い風情を漂わせています。

所在地: 
京都市上京区
公開状況:
非公開
作庭時期:
江戸時代
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