平城京左京三条二坊宮跡庭園(以後、宮跡庭園とする)は、1975年、奈良郵便局庁舎の移転に伴い行われた発掘調査により発見されました。その後一度埋め戻されましたが1985年に保存整備工事を行い、発掘した景石の強化と修復完了後、露出展示をはじめました。しかし30年以上経って再び劣化が見られるようになりました。
【本保存修理工事における技術報告・研究成果】
特別史跡特別名勝平城京左京三条二坊宮跡庭園における景石の修復工法について
特別史跡特別名勝平城京左京三条二坊宮跡庭園の復原整備工事における植栽管理と地割りについて
*本発表において弊社・吉川大輔が2020年度日本造園学会関西支部賞を受賞いたしました。
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この庭園は天平末年以降の西暦750年ごろに造営され、平安初頭の800年ごろまで存続したとみられます。
宮跡庭園は、今から約1200年以上前の遺跡が奈良時代当時のままの姿で発見された、大変貴重な遺跡であり、当時の人々の庭園に対する想いや美意識を現代にありのまま伝える大切なタイムカプセルの役割も果たしています。したがって景石そのものはもちろん、据つけの位置や角度も大変重要で、そのような要素も含めて保存の対象とされています。
この修復作業は、当初整備後約30年を経た段階で、かつての美しさを取り戻すことが目的です。 修復作業は大まかに以下の3段階で行います。
遺構のうちのどの部分を修復するか決まったら、まずは現場の調査と記録から始めます。
どのような状態で、約1200年前の人が石を据えたのか、貴重な情報をもれなく記録することが大切です。
石のポイントとなるところに目印のマーカーをし、三角点を基準として位置を確定していきます。
石を戻すときに、この写真とマーカーのデータが重要な情報となります。
次に、取り外し作業を行います。
取り外しは、石の周りの土層をなるべく傷つけないように最小限に慎重に行われます。この時頼りになるのが、日々庭園で景石を扱っている庭師の感覚です。石がどの程度の深さまで埋まっているのか、またどの方向で埋まっているのかを予測しながら進めます。
景石の周りに空間ができたら、石そのものをラッピングして、破損が生じないように養生します。
次に、ラッピングした景石を吊り上げます。景石の向きを自由自在に玉かけするこの技法は非常に高度で、伝統的な日本庭園の施工技術でもあり、現代の庭師にも受け継がれているものです。重い石を一本のロープのみで、据えるべき角度に吊り上げるという熟練を要する技法です。
作業中に見えなかった部分に破損が見つかることもあります。その場合も、すべてその場で記録をして、後で復元できるようにします。
また、破損状況によって、取り外しの工法を修正する場合もあります。
工法修正を行い、景石を地面から持ち上げます。すぐに準備しておいたシートの上に移動させ、重要な情報が失われないように景石全体を養生します。
取り外した地面の跡も重要な資料となります。景石の下に石をかませている場合は、そのかませかたも合わせて記録します。
取り外した景石を安全に、作業場まで運びます。
一つ一つの動きを慎重に運びます。
取り外した景石はまず洗浄をします。破片も同じく洗浄をします。多い場合は600個程度の破片に分かれている景石もあります。
すべて一つずつナンバリングを行い、施術していきます。
そして、薬剤の浸透が良くなるように最低1週間乾燥させます。
乾燥が終わったら薬剤を浸透させ、石の中のケイ素と言われるガラス質を補い強化させます。小さいものはカップに入れ、大きなものはネットに入れて養生してから含浸させます。どちらも含浸は3時間程度行います。
含浸させたら、変色を防ぐために余分な薬剤をしっかりと拭き取ります。その後、直射日光と雨水を避け、1週間保管します。
含浸が完了したら、破片同士を接着させる作業を行います。 目立ちにくい色のモルタルやエポキシ系の樹脂接着剤を使用します。石によって使用するモルタル素材の色を変えます。
接着後はこのようになります。
取り外し時の情報を再確認し、どのように据え付けるか工法を検討します。
修復が完了したことを確認し、修復した景石を元あった位置に据え直します。
いつの修復か、すべての資料が失われてもわかるように、修復年発行の硬貨を入れ込みます。
玉掛けを行い、垂直に下せば狙った角度に石が穴に入り込めるように調整します。マーキングしたポイントをデジタル技法と三角点を用いて特定し、誤差10mm以内に据え直します。
必要に応じて粘土を補充します。
このような修復作業を、平成26年度から70か所ほど行っております。
修復工事が完了した後には、再びかつての庭園の姿そのままに鑑賞でき、かつ研究材料として価値の高いものとして公開される予定です。