真宗大谷派の大谷祖廟は、宗祖親鸞聖人の、さらには多くの門徒の方々の墓所として、連日多くの方々がお参りされ、親鸞聖人のご遺徳を慕い、沢山のご献花が捧げられています。 祖廟では、真宗の教えを学ぶための報恩講やご法話の他、万灯…
渉成園は、真宗大谷派の本山(真宗本廟)の飛地境内地で、周囲に枳殻(からたち)が植えてあったことから枳殻邸(きこくてい)とも呼ばれています。 慶長7年(1602)に徳川家康からの土地の寄進により東本願寺が創立され、寛永18…
この庭園は江戸時代の南禅寺の塔頭の一つである大寧院の跡地にあります。明治初期の廃仏毀釈によって大寧院が廃され、上知されて後に民有地となった明治中頃に作庭され、しばらく後に茶人の藪内家11代目透月斎竹窓によって改修されたも…
南禅院の庭園は、鎌倉時代末期を代表する池泉回遊式庭園です。往時の面影を残し、深い樹林で包まれた幽玄閑寂の赴きは格別で、大正12年(1923)に国の史跡及び名勝に指定されています。 庭に広がる池は曹源池と呼ばれ、龍の形にな…
南禅寺本坊拝観の入口となる庫裏玄関を入ってすぐ、右手側にあるのが「滝の間」です。 その名の由来でもある高低差のある滝は、1890年(明治23年)に開通した琵琶湖疏水より導水し造成されました。 滝の間では、ご参拝の方に飛泉…
華厳庭(けごんてい)・龍吟庭 (昭和59年(1984) 植彌加藤造園設計施工) 昭和58年(1983)の龍渕閣建築に伴い、塔頭帰雲院(きうんいん)が移転されることとなりました。併せて茶室不識庵(ふしきあん)の移築や、窮心…
大玄関庭園 (昭和45年(1970) 植彌加藤造園設計施工) 京都市市電伏見線が廃止になった折り、軌道敷の板石が寺社に優先して払い下げられることとなりました。南禅寺は第1回の抽選会に参加、代理人として出向いた植彌加藤造園…
六道庭(ろくどうてい) (昭和42年(1967) 植彌加藤造園設計施工) 小方丈からさらに奥に進むと「六道庭」に行き当たります。「如心庭(にょしんてい)」が解脱した心の庭であるのに対し、この「六道庭」は、六道輪廻(りんね…
小方丈庭園 (昭和41年(1966) 植彌加藤造園設計施工) 国宝である小方丈の西側に作られた庭園で、別名「如心庭(にょしんてい)」といい、その名の如く、心字形に庭石を配置した枯山水の石庭となっています。庭石の配置につい…
方丈庭園(大方丈庭園 慶長16(1611)年頃 伝小堀遠州作) 大方丈庭園は、応仁の乱で焼失した南禅寺が以心崇伝(1569-1633)によって再興された際に作庭された、国宝である大方丈の南に面した庭で、小堀遠州作と伝えら…
鎌倉時代の末、もともとこの地にあった禅林寺殿と呼ばれる離宮でたびたび怪異な出来事が起きましたが、これを見事鎮めた無関普門禅師(大明国師)に深く帰依した亀山法皇が、正応4年(1291)、離宮を禅寺に改め、無関普門禅師を開山…