南禅寺

鎌倉時代の末、もともとこの地にあった禅林寺殿と呼ばれる離宮でたびたび怪異な出来事が起きましたが、これを見事鎮めた無関普門禅師(大明国師)に深く帰依した亀山法皇が、正応4年(1291)、離宮を禅寺に改め、無関普門禅師を開山に迎えたのが南禅寺の始まりです。

後には五山の上という格式を与えられて隆盛を迎えますが、応仁・文明の乱などにより荒廃していたところを、江戸時代に入り、第270世住職となった以心崇伝禅師(本光国師)により復興が進められ、20万坪の境内には、三門や大方丈、小方丈といった建造物とともに、大方丈の庭園や崇伝の自坊となる金地院の庭園も作られました。

江戸時代の南禅寺は、多くの塔頭に庭園が作られており、禅宗の大本山というだけでなく、風光明媚な地としても広く知られ、境内や庭園だけでなく、参拝者で賑わう門前の様子などが絵図に残されています。また、多くの詩歌の題材ともなり、頼山陽の「南禅寺に遊ぶ」では、参道沿いや背後の東山の青松の様子が詠まれ、往時の風景を偲ぶことができます。

明治時代になると、上知により境内は3分の1ほどの6万坪に減らされ、25あった塔頭も12に減ってしまいますが、三門をはじめとした建造物の多くはそのまま残り、境内全域が国の史跡に指定されています。

境内に入って最初に目に付くのが重要文化財に指定されている三門です。三門とは仏道修行で悟りに至るための三つの関門である、空、無相、無作の三解脱門を略した呼称で、俗世と聖域を区分する宗教的に重要な建物ですが、一方、歌舞伎「楼門五三桐」で登場する石川五右衛門の「絶景かな」の台詞にあるように、名所としても広く親しまれて来ました。

また、参道を進んで本坊に入る手前の右側にある煉瓦造りの施設が、明治になって境内を横断する形で作られた琵琶湖疏水の水路閣で、京都の近代土木遺産として国の史跡に指定されています。

境内は、かつての詩歌にあったような松だけではなくサクラやモミジも植えられ、花や新緑、紅葉を折々に楽しむことができます。また、南禅院や方丈(大方丈)、金地院といった国の名勝に指定されている庭園の他にも、多くの塔頭に庭園が作られており、このうち南禅院・金地院・天授庵の庭園は拝観が可能です。

なお、方丈庭園などの本坊に作られている庭園については、以下の各庭園詳細ページをご覧ください。

南禅寺 方丈庭園

南禅寺 小方丈庭園

南禅寺 大玄関庭園

南禅寺 六道庭

南禅寺 華厳庭・龍吟庭

南禅寺 滝の間

所在地: 
京都市左京区
公開状況:
公開
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