ホテル椿山荘東京は、「都会のオアシス」と言われるほど広大な庭園を有する国内屈指のラグジュアリーホテルとして知られています。実のところ、この地は明治 11 年(1878 年)に当時 40 歳の山縣有朋が自身の本宅として造営…
国の重要文化財である杉本家住宅前に位置するタカ・イシイギャラリー京都は、“鰻(うなぎ)の寝床”と言われる京町家(築約150年)の魅力を最大限に活かした現代アートギャラリーです。タカ・イシイギャラリーは、東京を拠点に、国際…
京都嵯峨野山墅(きょうとさがのさんしょ)は2020年に京都市右京区に新築された個人邸です。敷地の約3/4を占める庭園の計画・設計・施工を弊社が担当させていただき、建築計画・設計はLAYAN ARCHITECTS + DE…
岩倉具視幽棲旧宅は江戸時代後期から明治前期にかけて活躍した公家、政治家である岩倉具視が幕末のころに約三年間過ごした建物を中心に構成される施設です。昭和7年(1932年)3月、史蹟名勝天然紀念物保存法のもと国の史跡に指定さ…
大阪府貝塚市の浄土真宗本願寺派・近木山要眼寺は貝塚寺内町の中心寺院・願泉寺の寺僧五か寺の一つです。この庭園は2017~2018年にかけて設計・施工を行わせていただきました。 この庭園では浄土真宗の宗祖・親鸞聖人にも影響を…
国立京都国際会館は、2018年10月に既存のイベントホールと調和したデザインをそなえたニューホールをオープンしました。本計画に伴うランドスケープ工事においては、建築と庭が融合する「庭屋一如」をテーマに京都らしさを感じる空…
国立京都国際会館(以下、会館)は1966(昭和41)年5月に、わが国初の国際会議場として開館しました。約156,000m2の広大な敷地に、本館、イベントホール等の会議、展示施設の他、宝ヶ池を臨む本館南西側には約23,00…
星野リゾート 界 加賀の庭園は「ご当地」をコンセプトに作庭しました。「石川県のご当地モノ(物・者)」と「京都の伝統技術」を駆使した庭園です。作庭には石川県産の樹木・石材・タイル等を使用し、石川県で培われた感性・技術・知識…
左京区岡崎に位置する当地には、もともと大正期に作られたと推測される主屋と庭園が残されていましたが、10年以上にわたり放置されかなり荒れ果てた状態になっていました。その邸宅を京都の風光明媚な土地柄を愛された現所有者の方が購…
嵐山荘は、天龍寺に程近い場所に新しく作られた、企業の保養施設です。ランドスケープの計画設計を京都造形芸術大学 佐々木葉二教授、鳳コンサルタント(株)環境デザイン研究所が実施され、京都ならではの庭園技術をいかした造園空間と…
京都伏見にある松本酒造は、寛政3年(1791)の創業、2世紀以上にわたって京都の銘酒を醸造してきた老舗です。 その酒造工場のある敷地の一画に枯山水庭園「畫舫園(がぼうえん)」と昭和29年(1954)に完成した迎賓館「万暁…
嵐山の地は、古くから風光明媚な土地として知られ、平安時代には桓武天皇を始め、皇族や貴族の遊覧がたびたびありました。現在も京都で有数の観光地として多くの人が訪れています。 その嵐山で、明治から営業していた温泉旅館「嵐峡館」…
福寿園は寛政2年(1790)の創業。お茶を売るだけではなく、宇治茶の文化の継承と創造をめざし、体験施設である宇治茶工房や研究施設も含めたCHA遊学パークなども備えた、茶の総合商社ともいうべき存在で、その福寿園が、深みのあ…
何有荘(かいうそう)は明治になって廃された南禅寺の塔頭の跡地に築造されている約6千坪の大庭園です。明治38年(1905)にこの地を所有した、染色事業や映画興行で有名な実業家である稲畑勝太郎の命名で「和楽庵」と名付けられま…
南禅寺界隈における別荘群の先駆けとして、明治29年(1896)、七代目小川治兵衛(植治)により作庭された元勲・山縣有朋の別邸が無鄰菴です。昭和16年(1941)に山縣家より京都市に譲渡され、昭和26年(1951)には近代…
知恩寺は、正式には長徳山功徳院百萬遍知恩寺といいます。知恩寺の歴史は、賀茂の禅坊と当時呼ばれていた賀茂の神宮寺に法然上人が住まわれたことに始まります。法然上人の没後、弟子の源智上人が師の徳を偲んで「知恩寺」と名付けられ、…
大本山金戒光明寺の大方丈の東北に面し、江戸時代中頃に作成された京都の案内書『都名所図会』にも記されている大池(鎧池)の周りには、「紫雲の庭」と「ご縁の道」が作られています。 「紫雲の庭」は、法然上人800年大御遠忌記念と…
渉成園は、真宗大谷派の本山(真宗本廟)の飛地境内地で、周囲に枳殻(からたち)が植えてあったことから枳殻邸(きこくてい)とも呼ばれています。 慶長7年(1602)に徳川家康からの土地の寄進により東本願寺が創立され、寛永18…
この庭園は江戸時代の南禅寺の塔頭の一つである大寧院の跡地にあります。明治初期の廃仏毀釈によって大寧院が廃され、上知されて後に民有地となった明治中頃に作庭され、しばらく後に茶人の藪内家11代目透月斎竹窓によって改修されたも…
南禅寺本坊拝観の入口となる庫裏玄関を入ってすぐ、右手側にあるのが「滝の間」です。 その名の由来でもある高低差のある滝は、1890年(明治23年)に開通した琵琶湖疏水より導水し造成されました。 滝の間では、ご参拝の方に飛泉…