円山公園は、明治19年(1886)に開園した京都市内で最も古い公園で、昭和6年(1931)に国の名勝に指定されました。東は東山山麓の豊かな自然、西には八坂神社、南には高台寺、北には知恩院をはじめとした歴史ある寺社仏閣に囲…
ホテル椿山荘東京は、「都会のオアシス」と言われるほど広大な庭園を有する国内屈指のラグジュアリーホテルとして知られています。実のところ、この地は明治 11 年(1878 年)に当時 40 歳の山縣有朋が自身の本宅として造営…
平城京左京三条二坊宮跡庭園は、その名の通り平城宮跡の南東、平城京左京三条二坊六坪に位置する庭園遺跡です。 昭和50年の発掘調査により、奈良時代の大規模な玉石敷の園池1つ、建物跡12棟、塀7条、井戸2基などが発見されました…
京都嵯峨野山墅(きょうとさがのさんしょ)は2020年に京都市右京区に新築された個人邸です。敷地の約3/4を占める庭園の計画・設計・施工を弊社が担当させていただき、建築計画・設計はLAYAN ARCHITECTS + DE…
福田美術館は京都を代表する景勝地・嵐山に2019年10月に開業した私設美術館です。三谷康彦(株式会社MLS)氏によるランドスケープの計画・設計のもと、特別修景地域にも指定されている嵐山の自然と空間に配慮しながら、弊社が実…
岩倉具視幽棲旧宅は江戸時代後期から明治前期にかけて活躍した公家、政治家である岩倉具視が幕末のころに約三年間過ごした建物を中心に構成される施設です。昭和7年(1932年)3月、史蹟名勝天然紀念物保存法のもと国の史跡に指定さ…
国立京都国際会館(以下、会館)は1966(昭和41)年5月に、わが国初の国際会議場として開館しました。約156,000m2の広大な敷地に、本館、イベントホール等の会議、展示施設の他、宝ヶ池を臨む本館南西側には約23,00…
中国の緑城集団から依頼を受け浙江省杭州市の中心部(旧都杭州古城)に作庭しました。潮鳴プロジェクトの主要施設で邸宅販売の迎賓・商談施設です。隣接する敷地にモデルハウスの庭も合わせて作庭しました。 主庭は「福禄寿」をテーマに…
和輪庵(旧蒲原達弥邸)は、南禅寺界隈別荘庭園群の中でも名高い名園のひとつです。 和輪庵にほど近い明治23年(1890)に竣工した琵琶湖疏水分線に沿っての散策路は、現在「哲学の道」と称され多くの京都市民や観光客に親しまれて…
左京区岡崎に位置する当地には、もともと大正期に作られたと推測される主屋と庭園が残されていましたが、10年以上にわたり放置されかなり荒れ果てた状態になっていました。その邸宅を京都の風光明媚な土地柄を愛された現所有者の方が購…
京都の南禅寺に程近い、浄土宗の総本山である知恩院の山号でもある華頂山を後ろにひかえた場所にあるのがウェスティン都ホテル京都です。 昔より、国賓級の方を含め、多くの名士の宿泊場所となっている都ホテルが誕生したのは明治23年…
南禅寺にほど近い場所に位置するM邸の庭は、この敷地を別邸として利用するため、家の新築とあわせて作られた庭です。 敷地に立つ主屋は、南禅寺にほど近いこともあり、伝統的な数寄屋風の建築となっているため、庭についても、主屋と同…
岐阜県関市の住宅地にあるS邸の庭園は、新築されたモダンな意匠の主屋と調和させつつも伝統的な京都風の日本庭園をというご要望に応えて作庭した庭園です。 庭園は玄関を入った所にあるエントランスの庭、リビングルームの北側にある中…
本庭園は、新大阪駅に程近い場所に建設された株式会社ソフトウェア・サービス様の新本社ビルの屋上庭園です。 大阪都心のオフィスビルに設けられる日本庭園として、美しく、やすらぎ・うるおいのある、都会のオアシスのような庭園を目指…
平安建都1200年の記念事業として建設された関西文化学術研究都市記念公園(けいはんな記念公園)の中に作られた回遊式庭園で、水景園と名付けられています。 伝統的な日本庭園様式だけではなく、山間にモミジを配した紅葉谷や、段差…
擁翠園の歴史は室町時代、3代将軍足利義満の管領(かんれい)をつとめた細川満元が築いた邸宅がその始まりと伝わります。邸宅は、応永33年(1426)に細川満元が没すると、寺に改められ、岩栖院(がんすいん)と称されました。 岩…
嵐山の地は、古くから風光明媚な土地として知られ、平安時代には桓武天皇を始め、皇族や貴族の遊覧がたびたびありました。現在も京都で有数の観光地として多くの人が訪れています。 その嵐山で、明治から営業していた温泉旅館「嵐峡館」…
順正書院は天保10年(1839)に蘭学医として著名な新宮凉庭によって開設された医学校を起源としています。南禅寺に隣接し、建築と庭園を配した清雅なその姿は、幕末に東山界隈の案内書として作られた『花洛名勝図会』によって広く世…
對龍山荘は南禅寺の塔頭跡地に明治29~32年(1896~1899)にかけて伊集院兼常の別荘として造営されました。その後、市田弥一郎が譲り受け、明治34~38年(1901~1905)に改修が行われ、現在の景観の基礎が出来上…
何有荘(かいうそう)は明治になって廃された南禅寺の塔頭の跡地に築造されている約6千坪の大庭園です。明治38年(1905)にこの地を所有した、染色事業や映画興行で有名な実業家である稲畑勝太郎の命名で「和楽庵」と名付けられま…